
左官と文化財との関わり
古代から続く「日本壁」を後世に遺す仕事。
古代期に大陸よりもたらされた土壁の製造技術は、日本の気候風土に合わせながら、京式土壁や漆喰塗などの「日本壁」と呼ばれる独自の技術へと発展。先人たちは、身の回りにある天然素材を上手に使い、いかに耐久性のある壁を造るか、そしていかに壁の表面を美しく仕上げるかを追求していました。私たち現代の修復技術者たちは、彼らの遺したものから当時の材料、工法などを読み解き、往時の職人の仕事を再現しています。
職人の高度な技術でつなぐ日本壁の強さと美しさ。
日本壁は、十分な工期と熟練の技が必要な「湿式工法」によって作られます。近年では、パネルやシートを用いた安価で簡便な「乾式工法」が一般化しており、日本壁を作れる技術者が少なくなっているのが現状です。文化財修復では、一般的な左官仕事とは使用する材料、工法、労力もまったく異なり、非常に高度な技術を要するため、経験値の高い保存会所属の職人たちが全国各地の文化財修復に携わっています。


壁と向き合い、歴史を紐解く修復作業。
修復技術者が感じる文化財修復の魅力は、壁を通じて、それを手掛けた職人の技術と想いが強く伝わってくることです。修復技術者たちは、後世への橋渡し役として、健全な建築当時の部材と、新たに取り替える部材とを一体化させながら、当初の姿へと近づけていきます。時代や地域性によっても、材料や工法が違うため、ひとつとして同じ修復はありません。修復技術者は、壁と向き合いながら、真の伝統技術を身に着けていくのです。


伝統技術としての誇り
土づくりは腕の見せどころ
「荒壁土づくり」
小舞下地にのせていく荒壁土は、土と藁すさを混ぜ、練り返して作ります。寝かせて置く期間が長いほど良いと言われ、1か月間ほどすると、発酵が進んですさの繊維質が土によくなじみ、粘りのある荒壁土ができあがります。これら材料の調達や、気候に合わせた壁土の調合や配合は、左官職人の腕の見せどころ。現代では、すさの加工(下処理)を行っていたすさ屋も姿を消し、昔ながらの材料の調達が非常に難しくなりました。

壁下地に土を塗り重ねる
「小舞掻き」「荒壁塗」
壁を塗る前の前段階として、「小舞掻き」という作業があります。間渡し竹(横)に小舞竹(縦)を格子状に組み、わら縄で固定して壁下地を作ります。そこに「荒壁土」をのせていくと、竹の隙間から土がはみ出して竹にからみつき、しっかりとした下地となります。この作業は、最短で夏は3か月、冬は6か月、長いものでは3年寝かせることもあります。その間も1~2か月に1回練り返しを行いながら、しっかりと定着させていきます。

こて一本で美しさを表現する
「なまこ壁漆喰塗」「鏝絵」
江戸から明治時代にかけ、庶民の建築文化として全国的に流行していた漆喰塗技術。蔵の外壁に貼り付けた瓦の目地を漆喰で盛り上げる「なまこ壁」は、機能面だけでなく意匠性にも優れた技法です。当時の左官職人の高度なテクニックと美意識を示すものとして、鳥取県をはじめ全国的に見られる「鏝絵」があります。着色した漆喰を使い鏝で描いた装飾は、腕利きの左官職人たちが仕事の御礼と手掛けた証として描いたとされています。

塗り重ねで生まれる美しさ
「大津壁」
江戸時代から続く伝統工法「大津壁」は、3つの自然素材(色土・石灰・すさ)を水捏ねしたものを上塗りする仕上げ技術です。漆喰のように糊を入れていないため、内壁・外壁どちらにも使用できる反面、乾燥が早いことから施工が難しく、塗り厚は2㎜程度で素早く正確に仕上げきる高い技術が必要とされます。大きく分けて「並大津」と「磨き大津」の2種類があり、磨き大津は、その名の通り、表面が鏡面のように美しく硬く仕上げられます。

文化財修復の実績例
彦根城馬屋保存工事
〈重要文化財〉
■有限会社津田左官工業所(大津市) 2016年

富岡製糸場西置繭所整備本屋修復工事
〈世界遺産国宝〉
■株式会社あじま左官工芸(東京都) 2020年
